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クウェー河鉄橋の上下の水上の集落は美しく、鉄橋も絵になります。
泰緬鉄道は1942年から1943年にかけて日本軍によって建設されたものであることはみなさんよくご存じでしょう。泰緬鉄道とクウェー河鉄橋については改めてここに詳しく説明する必要はないと思いますが、あらためていろいろな記述にあたって見るとその内容説明は様々です。
ミヤンマー側とタイ側の鉄道の長さ(ミャンマー側152km、タイ側263km)、工期(16ヶ月)、そして徴用された人々の人数(連合軍捕虜3万人、アジア強制労働者10万人)など数字もまちまちです。数字の起算のしかたも異なるのでしょう。(括弧内の数字は戦争博物館のリーフレットによる)
ガイドさんの話す数字はオフィシャルのガイド学校で教える数字でしょうし、クウェー河鉄橋の袂の案内板の記述とは一致しています。しかしそれも単にそれをオフィシャルとするという以上の意味があるとも思えません。 もちろん数字がいかようであろうとも捕虜の半数、強制徴用者のほとんどが主に疫病や栄養不足で死亡したということの重みに変わりはありません。 カンチャナブリ戦争博物館に展示されている過去の写真や絵は悲惨とはいえ、最近見る、目をえぐられたり生きながらにして焼かれたりしたコソボの虐殺の報道などにくらべると衝撃は大きくはありません。 しかし古びた写真であってもこの劣悪な条件下で強制された労働による突貫工事の生んだ悲惨は、あまりに色鮮やかで事実が想像を絶する現在の虐殺の写真よりも現実感があり身近なことに感じられるのは事実です。
一面のサトウキビ畑
車窓はまぎれもなくタイの風景。 バンコク都内の高架鉄道からの風景はもちろん全然違ったものでしょうが、それはもうすぐお届けすることができるでしょう。バンコクと東南部臨海工業地帯を結ぶ超高速鉄道が開通したあかつきには窓から見える風景はどんなものになるのでしょうか。
開け放たれた扉から風が車内を通り抜けてゆきます。
クウェー河の水は碧で豊かです。
有名な木橋も上からみると意外に低く、よくわかりません。
終点のナムトクまではもう少し。いつの日か再びミャンマーまでの鉄路が息を吹き返す日がくるのでしょうか。
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